こんばんは。4年の河村です。昨日は平成国際記録会、今日は日体大記録会でした。結果の詳細はXのポストをご参照ください。

最近、スポーツニュースにおいて、高校から陸上を始めて、オリンピックに出場するレベルの選手になったとある選手が特集されていました。一緒にそれを見ていたある人物に「お前には長距離走の才能がなかったんだな」と言われました。

なるほど、確かに十年以上長距離走をしていて、いまだに1500mで全中標準も切れていません。妙に納得してしまいそうになりました。確かに、才能がある選手=全国レベルの記録を持つ選手と仮定した場合、現時点において出ている記録だけを見るのであればそのようにいえるのかもしれません。

その時は、冗談めかしく言われたので、「うっせぇ」と笑いながら返答しましたが、実際のところ僕には陸上競技の才能がないのでしょうか。答えはわかりません。何故わからないかというとまだ長距離走における人間の肉体的ピークをむかえていないからです。マラソンなどの長距離走における才能は35歳までわからないと言われています。

なぜなら、長距離走における生理学的な能力がピークを迎えるのがそのくらいの年齢だからです。加えて重要なのが、長距離走の原理原則が踏まえられた自分に合う練習メニューをどれだけ継続して取り組めるかです。いくら長く練習を継続したとしても、戦略性に乏しく、原理原則を無視した練習メニューに取り組んでいる限りはいつまでも記録は停滞したままでしょう。

ジョギングの生みの親であり数々の名選手を生み出したアーサー・リディアードコーチは、「その者のランニングにおける才能は、理にかなった練習を5年10年と継続して初めて見えるものだ」と述べています。僕が戦略性と原理原則を意識した練習を始めたのが大学2年の頃なので、まだ2年しか経っていません。以上が僕に長距離走の才能があるかわからない理由です。

才能があるかどうかがわからないのであれば、もしその人が長距離走を愛し、少しでも早く走ることを欲するのであれば、来るリミットまで、ひたすら原理原則に則った練習を続けていくほかありません。

このブログで述べたいことは、「河村は全国レベルの選手になりえるのだ」ということではありません。僕は大学で長距離走を引退するつもりなので、自分に才能があるかわからないまま走ることをやめます。

このブログの目的は、チームメイト及びたまたまこのブログを見た方々が才能というあやふやな理由で自分の本当に達成したいことをあきらめるという悲しい事象を少しでも減らしたかったからです。その目的が少しでも達成されることを願って筆を置くことにします。