「この程度のものであれば策をもってすればさほどのことはないかもしれませぬな。」家老の神保修理は言った。彼は、京都へ攘夷志士の偵察に行っていた大庭恭平の報告書を読んで安堵したようだった。が、容保はこれに同意しなかった。「私は策は好まない。」そう彼は述べた。
・・・(中略)
「家臣にもそう申しております。至誠こそ最後に勝つものだ、至純至誠をもって事を処理せよ、そのように申し聞かせております。」
「いや、それならば」
物事の情勢の見えすぎる慶喜は、この無垢すぎる容保の生硬さに、多少興ざめざるをえない。
この文章は司馬遼太郎の「王城の護衛者」という小説に出てくる一文です。時は幕末。京都守護職に任命された会津藩の松平容保は、藩士の大庭恭平を京都に向かわせて、相手となる攘夷志士の調査を命じました。
その報告書を読んで藩主の松平容保と家老の神保修理の会話の場面が上で引用した文章で、後半の文章は将軍後見人である徳川慶喜とのミーティングの場面から引用したものになります。容保公の姿勢を一言でいうとするならば「至誠」を大事にする考えです(姿勢だけに)。
相手に対して誠意を持ち、信じ続けることを意味します。実際、小説内では、新選組が登場する前までの容保公の攘夷派に対する姿勢は温和そのものであり、彼自身、どんな身分であろうが、攘夷志士が訪ねてきたら、徹夜してでも議論する姿勢をとっています。これは当時の身分制度的にはかなり常識外れのことであり、言ってしまえば法律違反です(実際議論を行った描写はないが)。
このことから、容保公の姿勢は至誠そのものであったと言えます(姿勢だk)。また、彼は作中神道家としても描かれており、当時の孝明天皇のことを崇拝していました。結局、孝明天皇や容保公の判断の影響で、佐幕派の筆頭藩として、会津若松城の戦いを経て降伏するのですが、最後まで幕府及び孝明天皇に対して誠実だったと言えるでしょう。また、孝明天皇も容保公を最後まで気にかけられていました。
余談ですが、作中の容保公はこのように誠実であることのみに秀でようとして、戦略的な部分をおろそかにしたために、その後は不遇の運命をたどることになったのでしょうね。
余談はさておき、このような「主君と家来」の関係性を陸上競技に置き換えると「監督、コーチと選手」の関係性と似ていると思います。基本的に従うと決めた監督(主君)の言うことはきちんと聞く必要がありますから。
少し違う点を挙げるとするならば、「主君と家来」の関係が明確な上下関係なのに対し、「コーチと選手」の関係は基本的に対等であることでしょうか(年齢的な上下関係はあるでしょうが)。故に「家来」と違って「選手」には従わない自由があると言えます。
このような関係性において重要なことは作中の容保公と孝明天皇の関係同様に、お互いが誠実であることです。簡単に言うと①双方約束はきちんと守ること②その約束は双方が納得した状態で結ばれる方が望ましいということです。
監督側は出した指示の理由をきちんと論理的に説明する責任があります。一方で選手側は、出された指示の理由を理解することと同時に、従うと決めたのならば、その通りに実施すること必要です。もちろん、先ほど説明した通り、従わない自由も持ち合わせています。
このような関係性を築くことは、コーチングにおいて重要になると考えます。納得せず、意図も理解せずに行う練習は練習効果が落ちてしまいますから。また、中学・高校生であれば、「これをやってくれ」と命令するだけある程度従ってくれるかもしれませんが、大学生以上になるときちんとした理由がないとそもそも従ってくれません。
故に、練習は容保公が攘夷派にしようとしたように、きちんと議論をする必要があるのです。インターネットが発達し、情報が気軽に得られるようになった今現在も一定の指導者や選手がこの作業をおろそかにしていると感じます。そのような選手は一時期うまくいくことがあっても、長期的に進歩することはなかなか難しいでしょうし、そのような指導者は残念ながら、その選手の長期的な活躍の機会を奪っていることになります。
今現在、僕は何人かの選手の指導をしていますが、練習する前にできる限り選手と議論することを心がけていますし、ありがたいことに基本的に彼らも納得した指示に関しては従ってくれています。もちろんセルフコーチングする際もそうで、練習前は必ずコーチである自分自身が選手である自分自身に対して練習の意図を説明するようにしています(少しわかりにくいかもしれませんが)。
また、選手である自分自身は納得したらその指示に100%従います。このような関係性が築けているので、私と指導する選手の間には、二人三脚で結果を出すための前提条件は満たしているといえるでしょう。コーチとしてまだ至らない点もありますが、何とか彼ら(自分自身も含む)の自己ベストを更新させてあげたいです。そのために、精一杯誠実であろうと思います。
超余談ですが、今月25日に2週間ぶり約10回目のカフェイン(コーヒー)断ちに失敗しました。選手である自分自身に論理的にそのメリットを説明したのにも関わらずです。相手(自分自身も含む)に対して完全に誠実であるためには、こういうところ変えたほうが良いですね。
因みに2週間ぶりのコーヒーはめちゃくちゃうまかったです。あの瞬間は世界で一番幸せだったと自負しています。しばらくやめられそうにありませんが、また気が向いたら11回目にチャレンジするとします。
最後に、この文章は司馬遼太郎著「王城の護衛者」の描写に基づいています。小説なので歴史的事実と異なる点があるかもしれません。因みにこの小説は短編集なので、他にも陸軍創設者の大村益次郎を取り扱った「鬼謀の人」、長岡藩を日本有数の陸軍に仕上げた河合継之助を取り扱った「英雄児」も収録されています。興味があれば見てみてください。
*念のために申し上げますとプロモーションではありません。断じて。
晴天の空を横目に見ながら自室より、差し迫る合宿にちょっぴり緊張しながら。
河村東哉
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