はじめまして。陸上競技部1年、経済学部経営学科の矢沢真太郎です。
神奈川県の鎌倉学園高校から一年間の浪人を経て今に至ります。
中学まではサッカー部で、高校から陸上を始めました。
高校時代は、神奈川県高校駅伝で2区を走り、強い先輩と後輩のおかげでチームが3位に入ったことで、関東高校駅伝にまで出場させてもらいました。
チームの目標だった全国高校駅伝には出場できず、高2で5000m14分台という個人での目標は達成したものの故障で走れない時間がほとんどだったことに加えて、一度目の受験失敗を経験するという、良いことよりも悪いことの方が多かった3年間でしたが、素晴らしい人たちに出会うことができました。修学旅行に行けなかったりと、例の感染症の影響をもろに被ってしまった高校生活でしたが、男子校で過ごした日々は今では大切な思い出です。来世は共学に行きたいですが。
自分のブログ期日はずっと前だったのですが、書きたいことはあってもなかなか文章にまとまらず、気づいたら夏合宿の前日になっていました。
思っていることを素直に書いたつもりなので、長く拙い文章ですが最後まで読んでいただけたら幸いです。
箱根駅伝に出ることが夢だった。
そのために自分にとって一番良い選択肢が推薦ではなく、受験で大学に入ることだと思った。
高校に出す進路希望の紙はいつも一番上だけを埋めて出していた。
浪人覚悟で突っ込む、学校の雰囲気的にそれがあたりまえだったから「もう一年やって受かればいいかな」くらいの気持ちで臨んだ一度目の受験はもちろん不合格。
意外と惜しい点数だったので、今年ちゃんとやれば絶対受かるなーなんて思っていた。
周りのことなんてこれっぽっちも考えていなかった。
そうして2023年3月、卒業式でほぼ浪人が決まった同級生たちと互いの健闘を誓いあい、ついに浪人生になった。
毎日予備校に通って、現役の時とは比べ物にならないくらい勉強した。計画通りいかないこともあったけど、自分が想像していた以上の結果がついてきていた。
それまで出来なかったことが出来るようになっていくことも増え、勉強の楽しさを少しだけ感じられたこともあった。
だから今年は自分の望む結果が得られる、そう信じていたし、周りもそうだったと思う。
だが、結果は「不合格」
蓋を空けてみれば、総合点は現役の時よりも大きく下がっていた。まごうことなき完敗である。
合格発表の日のことは今でも夢に出てくるくらい、脳裏に焼き付いている。
3月になってもまだ試験を受けていたから、それが終わって、ソワソワしながら携帯でファイルを開いた。
自分の番号を探したが、すぐにそれが無いことに気付いた。涙が出てくる訳でもなく、それまでの自分のことを思い返して恥ずかしくなった。周りの人になんて説明したらいいんだろう、考え始めたらきりがなくなった。
どうしたら良いのかわからなくなって、親から来た電話を切った。
1時間くらいかけて遠くの駅まで歩いた。
その道中、もう少し広い視野で考えておけばよかったと思った。
保険をかけずに一つに専念するのがある種の美徳だと考えていたけど、箱根駅伝に出たいのならもっとたくさんの選択肢があった。
箱根駅伝に出るための手段でしかなかった受験に囚われているうちに、本当に大切なことが見えなくなっていた。
そのことに、すべてを失うまで気付けなかった。
「人生長いんだし、そんな失敗なんて大したこと無いよ」
浪人生だった頃から、大学生になった今でもこう言われることが多い。いろんな人が、自分に気を遣ってそう言ってくれる。
ひたすら勉強し続ける生活の中で、仲の良かった友人たちが楽しそうな生活を謳歌しているのを羨ましく思うことは結構あった。
確かに、大学生になったら今の分もとことん遊んでやろう、と思って勉強に打ち込む人が多いのは事実である。
大学生は自由である。高校とは違って、学業に限らず身の回りのことのほとんどが自分に任されている。
その分、いろんな誘惑も多い。それまであった都合の悪いことを忘れさせてしまうくらい、今の世の中は都合の良い”楽しいこと”で溢れている。
だけど、何事も無かったかのようにしてなんとなくこれからの人生を生きていくのは、もったいない気がする。
どれだけ自分が周りの人たちに支えられているかということ、
勉強しようと思ってもすぐに集中が切れてしまって別のことをしてしまう自分の弱さ
自分にとって良いことも悪いことも、高校生の頃には気付けなかったことがたくさんあった。
予備校では友達を作らず、ほとんど誰とも話さずにいた一年間だったけど、その代わりに自分のことをよく見つめ直すことが出来た時間だった。
だから、去年のことを思い出したくないからといって忘れてしまって、今の時間をとにかく楽しく過ごすことでそこから目を背けようとしてしまうのは、自分にとってもったいない気がするし、自分を支えてくれた人たちに失礼な気がする。
わかりやすい"結果"で応えることが出来なかった分、自分に出来ることはそれくらいしかない。
これから先の人生、受験の比にならないくらい辛くて、理不尽なことはたくさんあるだろう。
その度に、都合の悪い事実を、なんとなく見て見ぬふりして次に進んでしまうのでは、20年後、30年後に人として成長したということが出来るだろうか。
失敗したことを、ただの"出来事"として終わらせない。
失敗して悔しいと思ったその感情を、次に進むための”糧”とする。
簡単なことではないが、弱さも含めた"ありのままの自分"を受け入れることでもう一段、人として成長することができるのではないか。
実際、5000mで言うなら高校2年でベストを出してから、高3は故障、その次は浪人と思うようなタイムで走れない時間が長く続いている。
自分が机に座っている間彼らは練習しているのかと思うと、いてもたってもいられなくなった。
同じスタートラインに立っていた人たちが結果を残しているのを見る度に、自分は何をやっているんだと自分が情けなくなった。
そして今、大学の中で認知されているかすらもわからない弱小校の部活にいることを惨めに思う日もある。
だけど、今の自分に出来ることはその現状から目を背けずに、毎日を積み重ねること。
普段は集合がたったの3日しかなく、チームとして本当の意味でまとまっていくのは簡単ではない。
目標として掲げているはずの箱根駅伝予選会に何年も出られていない現状に、標準記録を切っているいないに関わらず全員がもっと危機感を持つべきだとは思うけど、選手、マネージャーの一人ひとりに違った人生があるから、一概に「もっとちゃんとやれよ」と言い切ることが正解でないことはわかっている。
口で伝えるのは難しいけど、一番走力のある自分が毎日精一杯取り組むことで、周りの人を巻き込んでいきたい。
実際にその姿を見ている人がいなくても、そうゆう姿勢は自然と周りに伝わっていくと思う。
予選会、出るだけじゃもったいないと思う。
標準記録を切るのも立派なことだけど、それ以上に自分の想像を超えるような走りができた時、もっと素晴らしい景色が見えるはず。
それを知らずに競技を終えてしまうのは、"そっち側"に片足突っ込んだことがある身としてやっぱりもったいないと思う。
予選会でまだ見たことのない景色を見るために、もっとチームとして強くなっていきたい。
箱根駅伝という夢からは遠ざかってしまった今、何を目標に競技に取り組んだらよいのかまだ整理がついていない。
だけど、少なくとも今はこの陸上競技部の一員として、素晴らしい仲間たちとともに箱根駅伝予選会という目標に向かっていくことが出来る。
今この瞬間を大切に、毎日を過ごしていきたい。
人生いろいろとうまくいかないことは多いけれど、そんな風に悩んだりした日々も無駄じゃなかったと思えるようにしたい。
高校の大先輩の言葉を借りるなら「止まない雨はなかった」と、いつか心の底から思えるように、前を向いて頑張り"続け"たい。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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